永田洋子、非人間的研究

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連合赤軍浅間山荘事件からもう45年も経つんですね。

時は1972年2月19日~2月28日にかけて繰り広げられた人質籠城事件。
だが、単なる人質事件とはその背景が似て非なるもの。

当時群馬県のアジトを次々に警察に踏み込まれ、長野県佐久市ヘ逃亡を図って
いたが、用意周到とはとても言えずさらに厳冬期という希少条件が重なり
山中で道に迷い、偶然にもたどり着いた場所が「浅間山荘」であった。

長野県北佐久郡軽井沢町にあった河合楽器の保養時である

籠城したメンバーは5人。
かって29名いた連合赤軍メンバーの残りの5名でもあった。
坂口、坂東国男、吉野雅邦、加藤倫教、加藤元久。

そして、1972年2月19日午後4時、永田洋子率いる新左翼過激派「連合赤軍」
のメンバー5人は山荘管理人夫人を人質に「浅間山荘」に立てこもり
警察の行き詰まる攻防戦が始まった。

 

 

 

当時学生であった私もテレビに齧りついて事件の成り行きを
見続けていました。

最高視聴率89,7%。
この記録今現在も破らていません!

日本中が息を飲んだこの攻防戦ですが、後にも先にもこのような
行き詰まる攻防戦はありません。

攻防戦というよりも、銃撃戦ですから。

10日間もの間続いた攻防戦ですが、これも警察からの要求を一切
聞き入れなかったからです。

そして、10日間もの間要塞となり得たのは立地条件にもありました。

急斜面にそそり立つ山荘こそ難攻不落の要塞となり得たのです。。

 

 

話題は変わりますが、日清食品の「カップヌードル(1971年発売)」を口にする
機動隊員の姿がテレビに映し出され、これがきっかけで、一気に知名度
が上がったと言われます。

メーカーにとってこれ以上の宣伝効果は無かったでしょう。

 

 

 

浅間山荘事件終結

2月19日午後4時から28日午後6時までの、のべ218時間45分に渡り1600人
にも及ぶ警察隊を相手に繰り広がられた銃撃戦。

攻防戦を10日間で集結させたのは、大型クレーン車のおかげです。

当時日本にはこのような大型のクレーン車が無かったのか定かでは
ありませんが、アメリカ製のクレーン車から吊るされた巨大な鉄球が
振り子の如く振り落とされる様はまさに行き詰まる攻防戦の
終結が近いことを思い知らされました。

この鉄球は直径70センチ、重さ1.7トンで、これが浅間山荘の外壁を
打ち破りその後に催涙ガス弾や激しい放水が続き、最後は銃撃戦
となりました。

 

 

 

 

偶然にも浅間山荘から200メートル近くの場所にあったNHKの保養所から
実況中継に臨んでいた平田アナウンサーは視聴者にこう語りかけました。

 

 

”人間が人間に狙いをつけて、銃で撃っているということを、
そのまま同時にテレビで中継している。
この犯罪そのものが異常であることはもちろんですが、
テレビでこんなに長時間、茶の間に送り込まれるという
ことに、そのことの異常さ。そんなことが、同時に進行
している。
異常なことの積み重なりで、大変恐ろしくなりあますね”

 

 

事件の終結は、28日午後6時15分。
ここに、約219時間に及ぶ「浅間山荘事件」は終結。

人質は無事救出されましたが、TVカメラマンを含む27人が負傷、
警視庁の内田尚孝警視(当時47歳)、高見繁光警部(当時47歳)
と民間人一人の計三人が犠牲となりました。

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この事件が起きる二日前に永田洋子は逮捕されており、
後に自分はこの事件には関与していないと取り調べの席で
自供もしている。

 

永田洋子!畜女の生い立ち

2月28日に永田洋子を筆頭に5人全員が逮捕されましたが、
「連合赤軍」の驚愕の全容が明らかになったのは、むしろ
彼ら全員が逮捕された後のこと。

所謂「連合赤軍リンチ事件」なのです。

何かにつけて”総括””自己批判”を繰り返し、49日間で12名の命が奪われた。
その首謀者こそ「永田洋子」なのである。

この畜女「永田洋子」は1945年2月8日に、東京都・本郷に平凡な家庭の
長女として生まれた。

父親は一流会社のサラリーマン。

母親は病院の看護婦長。

大学は共立薬科大学(現・慶應義塾大学薬学部)卒。
在学中に共産主義者同盟マルクス・レーニン主義派の学生組織に
参加することがその後の人生を大きく左右した。

社学同ML派に参加していたことで、卒業後も幹部である川北三男と
川島豪に感化され女性開放問題やボーナス団交等の労働運動に関わり
一定の成果を上げたことで、仕事を辞め活動に専念する。

その後日本共産党(革命左派)神奈川県委員会のメンバーとなる。

1969年川島豪議長らの逮捕によって、獄外指導部のメンバーの一人となる。

1970年9月、指導部の投票により最高指導者となる。

この頃から組織に省いた物や脱退した者に対しての異常なまでの
批判精神が根付いてくる。

そして1971年共産主義者同盟赤軍派との連携を指導し、7月両派の
統一組織「連合赤軍」の誕生となる。

一説には学生時代にバセドウ病を患っており、感情の起伏の激しさも
手伝いその副作用によって人格が著しく変わったとの意見もある。

更には他人に比べ自身の容姿も畜女に変身させた要因ともいわれて

いる、らしい。

 

 

 

 

永田洋子はじめ実行犯の判決

浅間山荘事件より世間を驚愕させた事件は、仲間を12名リンチにより
殺害した事件です。

こうした残虐な連合赤軍の犯罪に対して、生存し逮捕されたメンバー
は17名

彼らの判決を見て見ましょう。

永田洋子:逮捕当時27歳。平成5年死刑判決。
平成23年2月5日東京拘置所にて死去。

森恒夫:元連合赤軍最高幹部は、初公判を待たずに東京拘置所で1973年
首吊自殺。

坂東国男:国外逃亡。これは超法規的措置として。
「日本赤軍」がクアラルンプールのアメリカ大使館占拠し、
獄中のメンバー釈放を要求。5人のメンバーを釈放。
坂東はそのうちの一人。

坂口弘:平成5年死刑判決。長野刑務所に拘置中。

吉野雅邦:逮捕当時23歳。無期懲役。千葉刑務所服役中。

植垣康博:当時24歳。98年出所、静岡でスナック経営。

加藤倫教:当時19歳。1983年2月懲役13年。197年1月仮釈放。

加藤元久:当時16歳。加藤三兄弟の三男。保護処分で中東少年院送致。

青砥幹夫:当時22歳。弘前大生。

奥沢修一:当時22歳。慶大生

杉崎ミサ子:当時24歳。横浜国立大生。

山本保子:殺害された山本順一の妻。

寺林真喜江:当時23歳。懲役9年。

中村愛子:山本夫妻の長女を連れて榛名に向かったが叶わず
高崎署から帰される。

伊藤和子;当時24歳。2月19日軽井沢駅前で逮捕

前沢虎義:当時24歳。3月19日に練馬署に自首。

岩田平治:1月12日に逃亡。その後逮捕。

まとめ

浅間山荘事件は日本犯罪史上、極めてまれな極悪テロ集団による
籠城事件。

事件後既に45年の歳月が過ぎています。

当時のメンバーですが、既に死亡している者もいれば獄中生活を送って
いるもの、平和に余生を過ごしているもの等様々です。

中心人物であった永田洋子はすでに獄中でその生涯を終えています。
脳腫瘍であった。

妹さんがいますが、お姉さんとは絶縁状態で亡くなられた葬儀には
親族が誰も参加されていなかったと。

孤独死ですね。

思想が行動を左右しますが、世の中あまり難しく考えない方が
結果的に健康的にも良いかもね(^o^)

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  1. 2017 08.08

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